8月3日
午前8:50 チャイナエアラインCA422便、成田→成都(北京経由)搭乗。
席は通路側。中国人の親子(母と子)グループに囲まれている。
メールのチェックなどしながら離陸を待っていると、客室乗務員が飲み物を運び始めた。次に「beef or fish?」機内食を配り始めた。
私はついさっきおにぎりを食べたんだよな、と思いつつもせっかくなのでいただくことに。
食べ始めると直ぐアナウンス(中国語、英語)があり、片付けが始まった。席の並び、窓際に座る子供が厠へ行きたいと言いだし、私はメロンを頬張りながらトレイを持ち上げ、通路に立った。一緒に通路に出た母親は片付けが迫っていることに気づいたのか、それまで手をつけていなかった食事を始めた。私も立ったまま食べる羽目に。
トイレから帰ってきた子供は牛肉をひと切れ咥えて食事を没収された。
10:20離陸。この慌ただしさは、中国のそれであった。
離陸後、穏やかな時間が流れていた。私はうつらうつら、いつの間にか隣の母と子の席が入れ替わっていることに気づく。子供はI PADでゲームをしていた。
暫くしてゲームに飽きた子供は、私と通路を挟んだ同じ並びに座る友達と遊びはじめた。二人は「シンプンニョーザイ、シンプンニョーザイ、◯◯」と掛け声を合わせる。◯◯の所に、攻め、守りの言葉が入る。同時にポーズをとる。バリエーション豊かなじゃんけんだな、と私は感じたのだが本当のところは分からない。終始、かめはめ波のようなものが私の前を行き交っていた。
12:50北京着。乗客が全員荷物を持って降りる準備をしている。はて、経由便だから成都行きの人はそのまま乗っていれば良いのではないか。内心は混乱しながら、冷静を装い、客室乗務員にザイチェンと手を振られ、飛行機を降りた。何もわかっていない私は、ひとの波を見失わないよう、金魚の糞となって歩いた。
結果、入国手続きをして、国内線のゲートくぐり、バスに乗って、次の飛行機に辿り着いた。機内に入ると、先ほどさよならをした客室乗務員が出迎えてくれた。席ではあの親子達が、あらあなたも成都へ、と言う顔をしていた。同じ飛行機に戻ってきたのだ。
なんだか中国に試されている気分であった。現に帰国の便で会った成都出張の方は、この乗り継ぎが出来ず、北京で新しく航空券を買ったと言っていた。
席に着くと、また機内食→離陸→うつらうつら→シンプンニョーザイ。
19:30成都着。予定より3時間遅く、ほとんど陽は沈んでいた。
空港からエアポートバスに乗り30分ほどで市内に着いた。そこから予約しておいたゲストハウスまで歩く。シャネルやディオールが並ぶ煌びやかなブランド通りに焼烤(シャオカオ)の香りが漂っていた。裏路地に屋台が出ているのだろうか。
2年ぶりの中国。初めての地に着いた嬉しさか、わくわくなのか、足どりは軽かった。
宿に着いて、予約していたのはドミトリーだったことを思い出した。同室になった中国女学生3人と軽く挨拶をし、シャワーを浴び、ビールを1本飲んで寝た。彼女達の楽しそうな話し声がずっと聞こえていた。
8月4日
両替のため中国銀行へ。整理券52番を受け取り途方にくれる。現在8番をご案内中だ。20分待ち、15番まで進んだことを確認し、外に出た。坦々麺を食べ、腹ごなしにぶらぶらしたのち、再び銀行へ。只今45番をご案内中。良い感じだ。バスや電車の乗車券を買うのに割り込みまくり、全く並ぶ習慣のなかった中国人が、2時間も身分証のコピーを団扇代わりにして待っているなんて、世の中変わっていくものである。そして、両替専用の窓口はここには無いのか。
午後はチェックアウトして、東チベットのmapを手に入れるべく、或るゲストハウスへ。ここで日本人数名と出会う。
mapだけ購入して出るつもりだったが、フロントで少し話したナイスガイと飯を食いに行くことになり、荷物が重いのでチェックイン。
宿からバスで15分。そこから2人で20分くらい歩いただろうか。お互い自己紹介などしながら、私が行きたいお店を目指した。四川料理の本には、地元民が通う大衆食堂とある。近くまで来て、そこらへんにいる地元民に聞いたがどうしても見つからない。火鍋屋に入ることにした。
午後3時過ぎた辺りで、客は我々だけだった。ぱっと見た感じ50席は軽くある。店員が隣のテーブル席に座り、注文が決まるのを待っている。客の目の前で客よりもダラダラしているこのスタイルは中国の食堂の基本であろう。
私達は基本の辛い鍋と幾つかの具を注文。「ビールを2本」と言うのがなかなか伝わらず、あたふたしているうちに鍋はやってきた。
唐辛子と大量の山椒が入ったスープ?と思ったら、油である。もの凄いものを頼んでしまった感。さらにつけだれの椀に胡麻油がたっぷり入っている。ここにオイスター、塩、黒酢、香草などを自由にトッピングしてつけだれを作る。
素材を麻辣な油で煮て、もしくはしゃぶしゃぶし、胡麻油につけて食べる。
なんてデンジャラスな料理でしょう。
空芯菜を箸で掬うと花山椒がたわわに実っていた。山椒の痺れで色々麻痺していたが、ひとつ思うことがある。
火を噴く辛さとはこう言うことか。
汗を拭う回数が、箸を持つ回数を上回り、食事を終えた。
連れの彼は帰り道にお腹を壊し、デパートのトイレに駆け込んだ。宿に着くと「少し休む」と言って部屋に戻り、それきり会うことはなかった。その後、中国の旅を楽しんだだろうか。
この日の夜飯はゲストハウスに4月から住んでいると言う、私の父よりも歳のいったおじさんの手料理をいただくことに。ブーゲンビレアの咲く屋上のテラス席で、通り雨の水溜まりどけながら2人で準備した。トンポーロー、苦瓜と豚肉の炒め物、大根の漬け物などなど。私は出先で買った棒棒鶏を持ち寄る。
おじさんは私と2人では物足りなかったのか、準備が整うと下へ行き、ピャオリャンな日本女性を連れて来た。乾杯をして、料理をつまみながら、旅の話、中国料理のことなど、貴重な情報を沢山教えてもらった。何よりおじさんの料理がとても美味しかった。良い感じに日本ナイズされていて、火鍋で荒れていた胃にも優しい。
白酒までご馳走になり、おひらきとなった。
8月5日
朝、腹痛、尻穴痛。昨日の火鍋をひきずりながら近所の市場を見学する。豆乳を飲みながら、皮を剥ぎとられ足首から足先だけモフモフのうさぎ、なまずの解体を眺めた。
(この続きは、緩やかに更新してゆきます)